3.11シンポジウム「震災12年どう教訓を活かすか――関東大震災100年の年に考える」

 3月11日(土)午後,城南信用金庫東京新聞が主催するシンポジウム「震災12年どう教訓を活かすか――関東大震災100年の年に考える」に参加するために,五反田にある城南信用金庫本店まで出かけました。

 主催者によれば応募は400名を超えたそうで,その中から150名招待されたとのことである。あまり大きな告知はなかったはずなのだが,3月11日に,何かをしなければならないという思いを抱く人がとても多いことを知らされる。

 安田菜津紀さんの基調講演。取材中のエピソードと自身の義理の母も震災で亡くなったことなどを何枚もの写真を投影しながら語る。最後のところで,14時46分となり,出席者全員が黙祷。基調講演の後はパネルディスカッション。

 日本で「震災」と呼ばれるのは,関東大震災阪神淡路大震災東日本大震災の3つだけらしい。なるほど。私たち昭和に生まれ,平成を生き延びて令和に至った日本人は,3つのうち2つを経験しているわけだ。シンポジウム全体を通して「復興は道半ば」という言葉が何度も繰り返された。その言葉を聞くたびに,「復興を達成した」というのはどういう状態をいうのだろうと考えてしまう。阪神淡路大震災からはすでに四半世紀以上の歳月が過ぎているが,「復興した」と言えるのだろうか。言えるのだとしたら,それは何をもって「復興した」と定義するのだろうか。どうも「道半ば」という言葉は,「アベノミクスは道半ば」と繰り返していた元首相を思い出してしまい,落ち着かない気分になる。

 パネルディスカッションの終了間際に配布された1枚の印刷物。福島で行われた東日本大震災追悼復興祈念式と3.11シンポジウムの模様とがまとめられている。さすが,東京新聞社が主催しているだけのことはある。

 五反田から事務所までのんびり歩きながら,2011年3月11日にも,事務所から自宅まで歩いて帰ったことを思い出していた。「忘れないためには思い出すこと。思い出したことを誰か話すこと」が大事であると,パネリストの一人が話していた。