書籍『下流中年――一億総貧困化の行方』

 「下流中年」とは,主に就職氷河期を経験して,その後,非正規雇用社員の身分でいる団塊ジュニア世代を指しています。本書は,冒頭の雨宮処凛さんと萱野稔人さんの対談からして,相当に暗い話になっています。

 たとえば,「あらゆる対策は『手遅れ』」と題された章では,編集部による「対談序盤から絶望的な話が続いていますが」というコメントが記されていたり,萱野さんは「いま政策がガラッと変わってよくなっても,自分たちはもう変わらない。関係ない」と断言していたり,雨宮さんは「政策として反映されるには何年もの時間がかかって,実現するころには自分たちにはまったく関係なくなっている。それがわかってしまった」と締め括っています。

下流中年 一億総貧困化の行方 (SB新書)

下流中年 一億総貧困化の行方 (SB新書)

 

  読んでいた時期はちょうどイギリスのEU離脱の是非を問う国民投票の時期に重なっていました。国民投票の結果を知ってから,思い出したのは,萱野さんの次のような言葉でした。

弱者を救うにしても多文化共生を進めるにしても,結局はお金がかかるわけですよね。(中略)

「パイは限られている」という感覚が本当にリアリティを持ってきているからこそ,リベラル派の主張,つまり財源を無視して,弱者に優しくする主張が顧みられにくくなっているんだと思います。

 本書第2章の中で,赤木智弘さんは,企業を神と呼び,「下流中年とは企業という『神』に選ばれなった存在である」と定義しています。現在の日本人がいかに多くを雇用されている企業に依存しているかを考えれば,納得のいく定義ではありますが,逆にいうと,企業を「神」と呼ばなくてもいい社会が求められているのかもしれません。

 本書には,「下流中年」から抜け出すための方法論はまったくと言っていいほどありません。第4章「ルポ・下流中年 12人のリアル』の中では,起業したり,NPO法人に関わったりすることによって居場所を見つけている人の姿も描かれてはいますが,それで,「下流中年」から脱出できるわけでも,貧困と絶縁できるものでもなく,せいぜい,ひきこもり状態が解消したにすぎません。

「私たちの悲劇を二度と繰り返させないために」若年貧困層への教育支援・進学支援を進めてほしいと語る雨宮さんの言葉は,少し寂しく心に残りました。